昔昔の、物語

この世界の空が、青くなかった頃の物語









海の潮には、3つあり


激しい感情と強い力を持つ「赤潮」

いつも冷静で、静かな心を持つ「青潮」

青潮の上で、誠楽しく踊り舞う「白潮」











海沿いの小さな村

美しく、どこまでも広がる広大な青い海

その上にどこまでも広がる、透明で透き通った空








京の都から続く東海道沿いにあるその村は、小さく貧しい村であった


その村にいた、愛し合う二人の男女


名は「タロウ」と「オツウ」という



二人の仲は、海が結んだのかもしれない



タロウは村では名の通った漁師で、彼は「潮の声」を聞く事が出来た
赤潮の激しい感情も、青潮の澄んだ心も、その上で踊る白潮の歌声も、タロウは良く分かっていたのだ
他の漁師が敵う訳もなし

海の美しさ、恐ろしさ、それらを良く理解していたタロウは、そんな海が大好きだった



漁に出ない日は、毎日毎日釣り糸を垂らしては、その眼で空と海の交わる場所に桃源郷を写し出していた


そんな日々を過ごしていたある日、タロウが波打ち際を歩いて蛤を探していると、不思議な娘を見付ける


娘は、足元の蛤を拾っては投げ、拾っては投げて遊んでいる

それは別に不思議な事ではないが、不思議なのは、娘の投げる蛤は誠正確に「白潮」を狙い当てている



そして「白潮」が、その蛤でとても楽しそうに遊んでいるのだ

そして「白潮が喜ぶ」と、娘もとても嬉しそうに笑うのだ



「白潮が喜んでいる」



この感覚は、タロウ以外誰も理解出来ない世界

コレまでもタロウは、その感覚や、3潮の話を沢山の漁師に話したが、誰も理解出来る人間はいなかった

赤潮と青潮は見れば色が違うので、誰でも「視覚」としては知見していたが、事「白潮」に対しては、他の漁師は「白潮」でなく「波」と名を付けて呼んでいた


タロウからすると「波」と「白潮」は全く違うモノであり
簡単に言うと「波」は赤潮や青潮が動く度に発生する「現象」であり、「白潮」は、それ自体が個として有る「存在」なのだ
故に、青潮の上にしか現れない


我々に感情がある様に、海にも感情がある

人間は、その内に「喜怒哀楽」を兼ね備えるが、海はそうではない

赤潮は「怒」

青潮は「哀」

そして白潮は「喜楽」を司る

おそらくは「怒」と「喜楽」を相見える事は人間の「心」の中でしか出来ないのであろう
故に白潮は青潮の上にしか現れない


そう、タロウは考えていた





この娘…「潮」が分かるのか?






コレまで誰にも理解されなかった「潮」





「娘よ。蛤はとても美味しいぞ?何故に投げてしまう?」

『だって、あんなに潮が喜ぶのだもの、投げてあげないと可哀想じゃない』





タロウは確信した

そして、娘も確信した







二人は、他の誰にも分からない「世界」を「共有」出来る、と





「娘。名は何と申す?」

『オツウ。あなたは?』

「タロウだ」



タロウは今一度娘の顔をまじまじと見る

潮を理解出来る人間に出逢い、嬉しくて気付かなかったが、何と美しい娘であろうか

まるで、輝く海の様に美しい娘だ

この娘は「潮神様の遣い」ではないのか?

そう思ってしまう事に何の疑問も持てないくらいに、美しい娘であった





そうして二人は、愛し合う仲となった




眼前に広がる美しく青く輝く海

真っ青な青潮が広がる広大な海

その青潮の上で踊る白潮

その海の様に美しい笑顔

二人の仲は、海が結んだのかも、知れない











「オツウよ」

『はいな』

「お前はいつも青潮様に触れ、白潮様と遊んでいるな」

『はい』

「アレらは、そうと分からない人間には干渉しないが、分かる人間には干渉して来るのだ」

『干渉?』

「関わって来る、と言う事じゃ」

『タロウ様も、漁の度にアレらを利用しているのでしょう?』

「それは違う。わしは利用するでなく、ただ、声を聞き、そのままに漁をしているだけだ」

『何が違うのですか?』

「お前は、白潮様と遊んでいる。わしとは全く違う」

『それが何かマズいのですか?』

「アレらとは、とても簡単に通じ合ってしまえる。だから分かりにくいのだが、アレらも神の一つだ。神様とはあまり通じ合ってはならん。こちらの世界から連れ出されてしまうと聞く」



タロウは怖かったのだ
海の様に美しいオツウを、海が連れ去ってしまう様な気がして



『タロウ様がそう言うのであれば、そうなのでしょう…』


この日より、オツウはあまり浜辺で遊ばなくなった


代わりにオツウは、どこかで拾って来たであろう不思議な板を、よくよく眺めては日々を過ごす様になる










それからずいぶんと時は経つ












白潮は、いつもいつもオツウを待っていた

時折、オツウが海岸に現れると嬉しくて、青潮に頼んでオツウの足元まで流れて行く

しかしオツウは白潮と青潮に向かってニッコリと笑うと、懐から一枚の板を出し、その板を眺めてばかりいる








一度、タロウは聞いた事がある



「オツウ、お前、その板は何なのだ?いつもいつもその板ばかり眺めて」

『タロウ様、この板は、とても不思議な板なのです』

「ほう…どんな板だ?見せてみろ」

『この板は、向こうの世界に通じております故、いくらタロウ様の頼み事でも従う訳にはいきませんわ』

「?」

『もう、会えない人間が、この板の中にはいるのです』

「ますます分からん。見せてみろ」

『明日も早くからの漁でございましょ。早く寝ないと、お体にさわりますよ』






うーーーむ、とても得心行く応えではない





オツウが寝静まった頃、タロウはこっそりと、オツウの大切にしている「その板」を、布に包まれた中から取り出し、手に取る

が…しかし電気もない時代。闇のなかでは何も見えない…ただの黒い板…

一瞬、雲の合間から月明かりが射したのであろう…家の壁の隙間から光が射す

刹那、タロウの眼にうつったのは、人の顔の様な、絵の様な、誠不可思議なモノであった





何なのだ?この板は…気味の悪い…なぜオツウはこんな板を、あんなにも大切そうに…微笑みながら眺めているのか…




タロウは、この板が何であったのか、終にまで分かる事は無かった…
無かったのであろう、と思う











それからもオツウは度々、美しい海に足を運んでは、ニコニコと、その美しい顔で板を眺めていた






白潮はその度に遊んでほしくて足元までくるのだが、もう、蛤や貝殻は飛んでは来ない

そしていつの日か、青潮も、オツウを待ち侘びる様になってしまったのだ

ただ、遊んでほしくて「待っている」白潮と

オツウを「待ち侘びる」青潮とでは「待つ」という意味がまるで違う
















タロウ!
タロウ!おい!タロウ!
「あいよーー!!!何だい!?」
ここ最近、海がヤケに近い!
「良いじゃねーか!!船出すのが楽で仕方ない!このままでいてほしいくらいよ!!!」
そりゃ分かるけど、なぁんかオカシイぞ!コレは潮汐じゃあ無いよなぁ!?これじゃ村が海に飲まれちまうんじゃねーかって、俺ぁ怖えよ!!
「大丈夫だ!!この潮に悪意はない!!」
お前がそう言うんなら大丈夫なんだろうけどよ!!!














海は、潮は、個々に喜怒哀楽を持つ訳ではない

赤潮は「怒」

青潮は「哀」

そして白潮は「喜楽」を司る



潮に悪意が生まれる時は、青潮が少しずつ変わり、白潮と青潮が姿を現さなくなる

その悪意にタロウはいち早く気付き「赤潮が来る」と分かった

なぜ、タロウは海の異変に気付く事が出来なかったのか?

それは、青潮が「好意」を持って近付いて来たからである

潮が本来司る筈の感情以外の感情を持つなど「海を司る神」ですら分からなかったのだから、タロウに感じ取れないのは当たり前である

タロウは何となく「おかしな声もあるものだ」程度に感じる事しか出来なかった


しかし、本当にマズかったのは、このタイミングで台風が近付いて来た事













海に悪意はないのは分かったよ!!!だーけど!!この風はアレだろ!!??あの、強い風が来るヤツ!!
「ああ!それのがマズい!!!こりゃ台風だ!!!」
なにい!?なんだ!?何て言ったよ!?
「前に教えたろう!!たいふう!!!中国の教えじゃ、台風が来る時は海面が上がる!多分海が近いのもそのせいだ!!!」
難しいのは知らん!!!とかく!!船上げにゃならんなぁ!?
「ああ!!!こりゃ親嫁子供皆連れて来い!!!皆で船上げにゃ間に合わんぞ!!!!」
わーーかったーーー!!!!










まだこの時代は「台風」というモノがあまり広く知られていないく「謎の大風と大波」が来る時、漁師はその大風大波から船を守る為、一家総出で船を陸高く上げたモノである

一種の季節の風物詩でもあったと伝記に記されている













タロウは全力で走り家へ向かう


「オツウ!台風だ!!!台風が来るぞ!!船上げに行くぞ!!!!」

『はいな!!!!』



港の村は祭りかと言う様な大騒ぎ












「オツウ!!!お前はあっちの船を頼む!!!あそこまで波を被っていると、潮の声が分かる人間しか上げられん!!!」


一瞬、不安な顔をするオツウ


「どうした?オツウ?」

『…いえ…』




無理もない

タロウが「何かおかしな声」としか認識出来なかったのは、その「潮の好意」が「オツウにだけ向けられていた」のだから


「行くぞ!オツウ!!!」


『はいな!!!!』


































その光景を見た者達は、後に声を揃えて言う


「アレは、神様が、オツウを連れて行ったよ」


タロウも、そう感じた


































真っ暗に空を覆う黒い雲

大風の中



































ピカピカと、美しく輝く青い潮が、オツウをさらう


刹那…

刹那…刹那、刹那、刹那刹那刹那刹那刹那



人はいつも「一瞬を永遠の様に感じる」



どこまでも続く「刹那」




















海は、潮は、個々に喜怒哀楽を持つ訳ではない

赤潮は「怒」

青潮は「哀」

そして白潮は「喜楽」を司る







青潮の「哀」は「愛」に変わっていた





青潮の「待ち人」オツウ

台風の力を借りて青潮は接岸し、オツウを、現世から常世へと連れ去ってしまった


青潮は、人を

「オツウ」を「自らの意思で」殺めてしまったのだ













まだ、この世界の空が、青くなかった頃














人の命は、青い海へと還って行くモノであった

それがこの現世の「理の在り方」であった


全ての命は、青い海「青潮」の先



ニライカナイへと導かれる



全ての命の還る場所「青潮」



青潮が司る「哀」


「哀」
「なげくこと。かなしむこと。あわれむこと」



人間が「なげかれ、かなしまれ、あわれまれ」故人と成った時
その故人は、青潮の世界である「ニライカナイ」に逝く事を許された







































青潮よ、青潮よ
おんしは在ってはならぬ事をした
愛は現世のモノであり、おんしには哀を司らせた
おんしは哀
おんしに在って良きは哀だけぞ
愛は、常世に在るモノには有ってはならん
現世から還って来たモノだけが持っていて許されるモノである







ある、大きな神は、戒めとして、青潮から「哀」を取り去った



青潮は「哀」を失い、透明な潮になってしまった









大きな神は、その「哀」を空に与える










この日より、空は素晴らしい青色に染まる















いつもいつも、青潮と共に在り楽しんだ白潮は言う

それは余りに酷と言うモノです
青潮様と共に居る事が出来ないのであれば、私の居る場所はありませぬ。赤潮様の中には、私だけ居る事は出来ないのです。どうか、どうか、私の色も青潮様の色の所へ



大きな神はそれを聞き入れ、白潮の白を空に運んだ







空に、真っ白な雲が生まれた










大空に与えられた青、そして白い雲

どれ程の絶景か












この時より、人の命は海へと還る事はなく




「天へ昇る」と称される事になる


















大きな神様…大きな神様…
それでは私は、何処へ逝けば良いのでしょうか

オツウは言う

そして私の大切な人も、きっと、海へと還るでしょう
その時、私が居なければ、あの人は何処へ還るのですか
















オツウ

お前には悪い事をしてしまった
青潮の行いのせいで、お前は、現世へも常世へも行く事は出来ない
ココは一つお前の為に、そして、いつか還る主人の為にも、城をこしらえよう










それはそれは、大変に有り難き事

オツウは言う

大きな神様、最期にもう一つだけ

青潮様に連れ去られた時、とても大切なモノを無くしてしまいました

それはただの板なのですが、もう、あの現世では逢えない方が姿現す不思議な板

アレだけは持って置きたいのです























オツウ

アレは、現世以外の世界に在って良いモノではない

あれはな「鏡」という物だ























































青い空

白い雲












何も無くなってしまった青潮、そして白潮



何も無くなってしまった中に、一つの希望が在った




オツウの無くした「鏡」は、広大な海に迷い込み















空を映す


















こうして空と海は、共に青くなったのだ











































時は流れ

浜に1人の男がいた


「あの日から、青潮様も白潮様も見ない…代わりに、空が青に輝き出した。空の中で楽しそうに浮かぶ白い物は、まるで白潮様のようだ…オツウも、あの空にいるのだろうか…」

タロウはあの日から、毎日毎日海を眺めては、青潮や白潮、そして、オツウを探していた


「特に最近は赤潮様が酷いでな…コレでは青潮様も白潮様も出ては来られんだろう…しかし、ここ最近の赤潮様の声はいったい何であろうか…まるで、あの日オツウをさらった青潮様のような声じゃ…恐ろしや恐ろしや…」






































空よ、空よ

聞こえているか?








なんぞ?赤潮よ









わしは、あの男が不憫でならん







なんぞ、赤潮よ?








アレは、我々海が起こした過ちじゃ
あの男が不憫でならんのだ








なんぞ、赤潮よ?










わしを、おんしに譲る










なんぞ、赤潮よ?












わしを「怒」を、おんしに譲る










なんぞ、赤潮よ?










空が赤く染まれば、コレ素晴らしき情景となろう
代わりに、わしの分だけ、青潮と白潮を返して頂きたい









おんしの思いも痛い程分かる。しかし、ならん。青いわしが突然赤くなり、昼日中に海が青く輝けば、すぐに大きな神に分かられようよ











では、わしを半分だけ遺す
昼日中は、わしが青と白を隠す。おんしは青いままだ
おんしが黒くなるまでの一時だけ、空は赤く染まる
その後に来る夜だけ、夜だけでも良い
あの、青く輝きる海を、どうかどうか、もう一度












分かった。おんしの半分だけを貰い、その分、青と白を返そう













有難い、有難い













その日より、青い空は黒くなる前に、赤く染まるようになった































その晩の事だった


タロウが眠っていると、夢現、聞こえて来る潮騒の中に、時折、懐かしい声が聞こえる



この声は…











青潮…様…?




白潮…様?






今日は特に酷い赤潮だった…赤潮様がいる時は青潮様も白潮様も出て来ない、そんな筈はない…


ゆっくりと起き上がり、のそのそと小屋の戸を開けたタロウの眼に、信じられない光景が広がる























赤潮様にのる白潮様の中で、あの頃の様に美しく輝く、青潮様…






































決して、相見える事をしなかった3つの潮が一つになり、それはそれは美しい海が広がる














海は、喜怒哀楽でなく「心」を持ったのかもしれない


























その日から、酷い赤潮の夜、海は青く美しく輝くようになったという









昔昔の、物語

この世界の空が、青くなった頃の物語